/「リレーエッセイ」渡る世間に鬼はなし(上 信昭)

「リレーエッセイ」渡る世間に鬼はなし(上 信昭)

皆様こんにちは。 リミックス㈱ 小野 晋太郎さんよりバトンが届きましたので喜んで筆を執らせていただきます。
今回はわずか20年強ではありますが弊社の歩んできた道程をご紹介したいと思います。
まず、弊社の業務について簡単にご紹介します。主には機械装置の設計、製作を行っており、ほとんどの製品がお客様との打合せによるオーダーメイド品です。お互いにおいて世界に一台のオンリーワン製品を製作しております。
詳しく紹介したいのですが、長くなりますので、弊社のホームページをご覧下さい。

さて、これから題目について説明に入ります。弊社にはAKシステムとなる以前の時代があります。遡ること約40年前、静岡県にある葵エンジニアリング㈱を親会社とする、㈱葵九州製作所として大分市片島に300坪の工場を建て産声をあげました。当時の本業は、日本専売公社(現JT)向けのたばこ生産ラインの機械制御(盤、制御ソフト)製作でした。
当時、公社は、たばこにする前工程の原料工場と、箱詰めまで行う製品工場が全国に50数ヶ所あり、本社が関西以北、九州が関西以南と業務を分担しておりました。
その後、将来の生産工場を8工場に縮小するとの発表があり、新規事業開拓の為に私は中途採用(29歳)で、葵九州製作所へ入社しました。
葵九州製作所は1987年に大分郡庄内町へ過疎地域企業誘致推進企業の第一号として、大分県の紹介で移転しました。約5000坪の広大な土地に事務所棟と4棟の工場を建設し新たなスタートを切りました。
それから、バブル崩壊を迎えた1995年(平成7年)阪神淡路大震災の年に、親会社の取引先の上場企業が倒産し負債を抱え、銀行融資も叶わず和議申請となりました。
当時、私は、生産管理兼営業課長となっていましたが、和議申請発表後、債権者となった取引先の方々が次々に会社に押し寄せ、周りで起きている事態を呑み込むことが出来ず、「昨日の友は今日の敵」となった事を覚えております。会社は裁判所管轄となっており、誰も手を出す事が出来ない状況でした。
その後の債権者会議にて、債権金額の3割、7年払いというこちらからの理不尽なお願いをご理解いただき出直しとなりました。
和議申請前には120名程いた社員も、最終的には40名となり、お取引先や仕入先も離れていき、社員が出社してきてもする仕事は無く、給料をどうすれば・・・と考える先が見えない日々に社員を引っ張らなければならない立場の私も心の中では「辞めてしまいたい・・・」と。
それ以降は、去って行かれたお取引先へ用事も無い中、仕事の無い日々の状況報告へ毎日伺いました。すると3ヶ月を過ぎた頃より、3社のお客様から仕事を頂ける事となったのです。奇跡が起きたと思いました。
しかし大変だったのはそれから。弊社には部品を買うお金がありません。折角残ってくれた社員の給料を払うこともできない現実が待っていました。
だが一度死んでいますので、不思議と怖いものはありませんでした。
駄目元で、お客の取締役の総部部長へお願いに行きました。
「部品はお客様の方で購入し、弊社に支給して欲しい」
「今月働いた出来高分を、月末に現金で入金して欲しい」
この2点をお願いしました。 即答でOKの返事をいただきました。まさかの回答です。

「 渡る世間は鬼ばかりと思っていましたが、鬼ばかりではないのだと人生初めての貴重な経験を実感しました。」

弊社に起こった嘘のような本当の話です。それから、数年後には現在の親会社である古手川産業㈱の支援を受ける事となり、業務を継続し市場の拡大へと繋がっております。
全て期待通りに成るとは、私自身も不思議でなりませんでした。

この時に「二度と同じ事の繰り返しをしてはいけない」、「新規開拓については、慎重に調査しリスク管理を行う」ことを肝に銘じました。

経営とは非常に難しいものです。
昨今は、人口減による人財の取り合い、経営者の後継者問題と、問題が多く成っています。
プラザ会員各企業様においても常に、危険管理は十分され万全と思います。
弊社の様な駄目な状況は是非避けていただき、又私自身も新たに戒めるために経験談を書かせていただきました。
ご参考になれば幸いです。

1)会社名       : 株式会社 AKシステム
2)氏 名       : 上 信昭
3)プラザ大分会員歴  : 5年目
4)入会のきっかけ   : 当会員の株式会社ソイルテックの中元社長の紹介
5)プラザ大分に入会で良かったこと:毎月の例会が早く来て、予定に入れる事が大変。本業と本会の業で大変心身が忙しい。勉強になります。
6)バトンを渡す人   : ヨーグルトン乳業の前原社長、宜しくお願いします。